あの窓辺の、置き手紙9

ゆったりと柔くのびやかに振る舞うその人は、
目が合うたび優しく微笑み、合わなければそっと寄り添い、
嬉しい気持ちや楽しい気持ちを照れるほど惜しみなく伝えてくれる。
助けられてばかりで頼られることがないのは私が力不足だから、
自然とそう納得して線を引き、 優しく繊細に輝く湖のような姿を、少し離れたところから眺めるような気持ちで、憧れてばかりいた。

満身創痍の獣みたいに
警戒心だけを頼りに身を潜めて傷が癒えるのを待つ、
そんな時に欲しいのは憐憫や叱咤や激励ではなく、
「君のため」という名ばかりの自己顕示欲や メサイアコンプレックス的な承認欲求でもない。
このあまりの本音に「恩知らず」と唾を吐いて去られようとも、
実際、これ以上何も抱えられないところ 綺麗事に牙を隠した来訪者を笑顔でもてなす余力があるのなら、 それはまず自分自身のために使うものだと思う。
翌日には忘れるような笑い話や誰かに話すほどでもない日常の片鱗を、 嫌悪や不安を抱えず共有し継続できる存在、 そういうもののほうがずっとありがたくて、 「力になりたい」なんて受け止め難い熱意を気取らないよう丸腰で近づくことは、容易なようで難しい。

いつか漫画で読んだ。
「自分には力不足だ」と皆が彼女を遠巻きにして、ひとりぼっちにさせてしまうのだ、と。
それでもなお、初めて抱く違和感にあの湖を覗くどころか、自分でひいた線を超えることすら躊躇する。
向ける憧憬と向けられる憧憬に心地よい関係を察して距離を保ち、
この期に及んでお呼びでない現実を痛感する怖さに、傷つかないために引いた境界線を越える勇気がない。
誰の何の役にも立たない気持ちを後生大事に棚に上げ、
「本人が望む、手を差し伸べるに相応しい人物が他にいるのでは」と問題をすり替える狡さは、 望まれない来訪者たちと何が違うのだろう。
そう気付いて、妙にすっきりした。

好意や熱意や劣等感など、苦境で持て余し右往左往する割にその場の本質においては些末ごとで、
頼らず頼られない理由は、信用や力量と比例するわけでもない。
期待も願望も約束も目的もない単調で平坦な日々が穏やかに続くこと、
それがちょうどよく、それで充分なこともある。
健やかな日も塞ぐ日も等身大のまま、
他愛のない物事を持ち寄ってはときおり話し、いつもよりほんの少し深く息をする。
何も返さなくていいし、気の向くまま返してもいい、 明日には忘れても構わないほどのありふれた日常の一片。
境界線を踏み越えて、そうなれたならいい。
あなたがいつもそうしてくれるように。

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