あの窓辺の、置き手紙6

南東向きの縁側に、庭の最奥を望む全面の腰高窓。
その特等席で移ろう景色を眺め紡がれたであろう言葉を、
物と人と情報が絶えずひしめく街で受け取り、思い浮かべる情景や香りにいつも安らぎと羨望を抱いていた。
樹々で柔らかく仕切られた内と外、
開かれているのに揚々踏み入るには躊躇われる静謐さ、
ひとたび入れば、ただそこに居ることに没頭させる遮るものの少なさは、それを必要とする人にとってこの上ない贅沢を思わせる。
この庭が持ち主をなくして、1年が経った。

壊すことは、対象への感情や後先を考慮しなくていいのなら、作ることより容易であっけない。
今すぐ斧を持ち出して、目に付く幹も根も見境なく傷つけてしまえばいい。
庭の主に許可を得ても別の理由で枝一本整えることも叶わず、
自縄自縛に枯れそうなところを何年も放置した挙句の密林化、
気が遠くなりそうな手入れを思えば、匙を斧に持ち替えるほうが賢明なのかもしれない。
そんな人の憂いは委細構わず、庭はこの1年も相変わらず芽吹き花を咲かせている。

「いつか終わることは、今何もしない理由とは別の問題だ」と、どんなに説明されても意味がわからない時分があった。
未来に起こるかもしれない事実と未来に抱くかもしれない感情は別物で、
その両方に支配されて現在の選択をすることは、危機回避としては最適でも余力がある状態では少し味気なくもある。
喪失感に備えることは今尚あるけれど、未定に怖気て確定を見過ごしても後悔が残るのなら、立場を弁え、あの庭に何もしない選択肢はもうなかった。

左右に並ぶ、柘榴、雪柳、椿、百合を通り過ぎ、
山茶花や羅漢槙で設られた生垣の内側
鯉の池へと続く飛石の並ぶ小道の両脇には、
柊、皐、つつじ、梅、南天、千両、万両、竜の髭、
檜、紅葉、かなめ、水仙、芍薬、紫陽花、桜、桃、
未だ名前も知らない植物や果樹の数々。
枝は捻くれ絡みあった末に空中で支え合い癒着して、
苔むし朽ちては新芽を出し、岩を掴むように根を肥やし、
土中から露わになった根は幹に変じて、
割れた枝に溜まった葉が土になり、別の植物を生やしている。
人の手など借りずなるがままになってきた有様は、
一見すれば確かに荒れているのだろうが、私にはとても美しく思える。

この場で生きるに窮屈そうな部分を除いた木々は、初夏を前に新芽を出して、また色鮮やかに成長し始めた。
何ヶ月かかるか何年かかるかわからない。
それでも庭の亡き主が「自慢だ」と微笑んでいた景色を、私はまた同じ場所から見てみたい。
思いを注ぎ時間を重ね手をかけた末に、いつかあっけなく形をなくすとしても。
残るものは、喪失感だけではないはずだ。

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