何をして何をしなかったからなのか、要因があるのは過去か現在か自分か相手か見当がつかないまま、
「穏やかに健やかにいてね」という気持ちが、行ったり来たり行ったきりだったり来たきりだったり、
そんな関係がいくつかある。
いまどこにいて何をしているのか、お互いによくは知らない。
訊けば答えてくれるだろうけど、訊く必要も感じないし訊かれることもない。
いつかまた会いたい、いつかでは叶わないかもしれないと思いながら、約束を仄めかす言葉が出てくることもない。また返事が来るかも分からない。
曖昧で掴みどころのないこの関係にあるのは、信用と尊敬に裏打ちされた安堵で、それだけで十分に思える。
数ヶ月か数年か更にもっとずっと先か、気の向くまま綴られた文面にあるのは、日常を切り取った他愛のない出来事ばかり。
季節の過ごし方や読んだ本、いま興味があること考えていること、
身も蓋もない言い方をすれば、さして連絡するほどのことでもない。
平坦で静かで穏やかで、何かを積極的に与えることも求めることもなく、第三者が登場することもほとんどない。
一体何のために続けているのか、特にない目的を強いて探すとしたら、
緊急性のある用事と確たる目的と気力がなければ私用の接触をしない性分ゆえに、
つい無自覚に世間から隠れおおせてしまう存在のための、定期連絡のようなものだろうか。
浅瀬で交差する言葉の底は、深い思慮に支えられている。
買い被りだと謙遜されても、手紙を受け取るたびにそう思う。
文字の少なさが関心の薄さを表すとしたら、そもそも送られてくることも送ることもなく、ややこしいことに、関心があるのに一字も送れない相手もいる。
他者の領域に踏み込み、私欲を満たすためだけに言葉を振るうも自由なのにそれをせず、
木漏れ日が揺れる清流の浅瀬でときおり談笑するようなこの関係を維持するのに、何の計らいもないとは思えない。
受け手に都合の良い理由だけではないと思う。
それでも各々の水面下に各々の思慮を忍ばせて、
繋いでおくことにも途切れることにも執着を見せず、
いざとなれば暗くて深い場所へ飛び込む度量も携えながら、
続く方法を探り選び守る意思に、私はゆっくりと息を吐ける。
「あなたを見失いたくない」「忘れてはいない」と伝えたくて、
ないものばかりの文を送る、深い思慮に支えられた、浅い関係。
知らないことばかりでも信用が消えることはなく、
約束がなくても関係が終わる不安もなく、
終わることの定義を考え出すくらいには、忘れないことに自信があり、気長でもある。
想われる心当たりがなくても、送れない置き手紙がいつか目に留まっても留まらなくても、
今後の人生に接点がなくても、ついに会うことがなくても、
無責任に、ただ想う。
あなたが穏やかに健やかにありますように。