あの窓辺の、置き手紙11

「ハーブを手入れ、紅茶を淹れて読書するのが朝のルーティン」
そんなイメージだと言ってもらうことがあるけど、実態は単なる低血圧。
体質と性格を自負して心身に無理なく暮らそうとすると、
極力無駄を減らしてゆったり思考言動することになる、
その結果が物静かで穏やかに見えるらしい。
実像はさておき、最近はもっぱら怒ることが面倒になってきた。

「面倒くさくて怒らない」なんて言うのは簡単でも日常で怒る場面が全くないほどの境地には遠く及ばず、
反射的にモヤ〜っとしたりイラッとしたりはするし、
気を抜いてると眉間が力んだり体の動きが微妙に雑になったりもする。
ただ昂る感情を持て余し自他を傷つけては後悔して、
そのくせ一時凌ぎの発散しか方法を知らなかった頃とせめて違うのは、
癖を自覚して状況を俯瞰し、沸騰を止める術を持っていることだろうか。
怒ること自体を0にする必要はないけど、早い段階で小さく抑えるに越したことはない。
何に怒っていたのかも分からなくなるほど無駄な悪循環を生んで引き際を見失ってからでは、
感情を抑制するだけでは済まず、それらに対処するのは、怒らないことよりも余程負担が大きい。

「どうでもいい」とか「面倒くさい」とか、聞こえが良くない言葉でも、
状況や言い方によってはあっけなく悩みや迷いを単純化してくれる。
自暴自棄な「どうでもいい」は全然どうでもよくないけど、
笑いとばす「どうでもいい」は些末ごとに思えるように。
怒りに強張らせた深刻な肩越しにいきなり「どうでもよくないか」と声をかけたら燃え盛るだろうけど、
この際重要なのは抱えているものが実際に些末か否かじゃない。
打開する小さなきっかけを見つけられないほど視野を制約されていることと、
その指摘すらも腹立たしく思う自尊心や虚栄心にとらわれていること、
それこそ本質に関わりのない些末ごとじゃないか。
なんでもいい。
少しでも肩の力が抜けて深く息を吸って、胸を開いて前を見て眉間の皺が緩む、
いつでもどこでもできる方法がいくつかあれば、
怒ることだけに使うはずだった力と時間の使い道を、じっくり選ぶことができる。
本当にどうでもいいかどうかは、それから考えればいい。

不機嫌になるほうへ消耗するよりも、
機嫌よくいられるほうへ投資したい。
時間も体力も有限で、10代の頃と今とでは優先したいことが変わってきている。
人生で自分と一番長く過ごすのは自分自身で、
性格や体質を非難したって好転も変身も起きないし救世主だって現れない。
どうにもならないことを1人で抱え不完全さに不機嫌を撒き散らす1日と、
どうにかできることを探り折り合いをつけて善処し機嫌よく過ごす1日、
この先積み重ねるならどちらがいいか選んだら、
もうどうでもいいことに一生懸命心を割いて、怒っている暇なんてない。

PAGE TOP
error: Content is protected